【涙腺崩壊】母親との思い出(2)

 

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1: 風吹けば名無し 03/11/30 20:01

まだ、自分が幼かった頃は、
ただうるさかったり、ダサかったり、邪魔だなぁと思ってたけど、
何もかも無償で自分を受け入れてくれたのは母親だけだったよね。

そんな母、お母さん、かあちゃん、ママンとの思い出、感謝、反省を語るスレです。

134: 風吹けば名無し 04/11/08 18:52:35

漏れは特に親を大切にしてきたわけでもなく、
親に大学まで行かせてもらってる。
両親共働き苦労してるよ。まぁ兄弟3人だしな。

毎年、漏れの誕生日には
2000円くらいのものではあるけどカーチャンがプレゼントくれるんだよな。
20歳の誕生日って、なんとなく区切りの歳だろ。
漏れ、逆に何かプレゼントしてやろうと思って一日かけて探した。
カーチャン、コーヒー飲むのが好きだから、
結局買ったのがコーヒーミル(コーヒー豆挽くやつ)とコーヒー豆。
まぁ、それでも二つあわせて4000円くらいだ。
我ながら良い物買ったなとか思ったよ。

いつもよりちょっと豪勢な晩御飯の時に例年通りプレゼントもらった。

漏れも照れくさかったけど、
「まぁとりあえず20年ありがとうということで・・・これ」
ってプレゼント渡したんだ。

そしたら不思議そうな顔して大粒の涙をこぼした・・・
今まで、馬鹿なことして泣かしたことは何度かあったけど、
喜んで泣いてもらったのは初めてだったな。
さすがに驚いた。こんなことでも泣いてくれるのかって。
逆に自分はこんなこともしてこなかったってことだよな。

今漏れは22歳、無事就職も決まって卒業を待つばかり。
これからはもう少しカーチャンを大切にしようと思う。
無償でこんなに大切にしてくれる親って、やっぱりすごいよな。

 

135: 風吹けば名無し 04/11/08 19:22:43

俺は19の頃、親の支配下におかれてるのがイヤなんだ!誰にも頼らず生きてみせる、
と両親に宣言して生まれた街を遠く離れた。
快適な一人暮らしのはずが、1年もしないうちに金に困り、実家に電話をして、
「悪いけど少し金が欲しい」と言ったら、しょうがないという感じで金を送ってくれた。
俺はなんて事をしてしまったんだと思った。散々反抗して家を出たのにこのザマかと。
その夜悔しくて泣いた。
その後、何とか生活できるようになり、車を買う事にした。
しかし、ローン組むのに保証人がいるという事になり、母親に相談したら、
「ローンはだめだ。お金貸すから一括で払ってしまいなさい。
その代わり毎月2万円お前の口座から差し引く事にする。通帳は預かっておくから」
俺はとりあえず納得して通帳を母親に預け、振り込まれる給料からカードだけで
お金おろしたりして生活してた。
それから1年ほど経って実家に遊びに行った時、自分の通帳を見つけたので
なにげに見てみると、月々2万円引かれているはずが、引かれている形跡がまったくなかった。
6年たった今もその車を乗り回しているがそれは母が(父かもしれない)買ってくれた
事になる。
俺は今、歳老いた両親になにも恩返し出来ないでいる自分が情けなく思う。
そして俺は生涯母親の偉大さを乗り越える事は出来ないんだろうなとも思う。
どこにでもある様な話かもしれん。親ならそのぐらいの事して当たり前と言う人も
たぶんいるだろう。しかし、そのぐらいの事してくれるの親しかいないんだよな。

たまに電話とか会うといまだに母は説教ばっかりしてきやがる。
冗談じゃねぇ、あんたにぁ負けねぇからな!

 

136: 風吹けば名無し 04/11/08 21:36:16
134 .135 良い話だな。涙流しながら読んだよ。
これからもガンガレ。

 

173: 風吹けば名無し 04/11/19 16:02:24
漏れは今埼玉に住んでいる
今年63になるお袋は北海道だ
今のところ年に二回くらいの割合でこっちが行ったり向こうから来たり
日本人の平均寿命が約85歳だから・・・と考えるとお袋の残りの人生は22年
そう考えると、あと40回くらいしか顔見れないんだなぁ

 

175: 風吹けば名無し 04/11/22 01:30:22
>>173さん
きっと30~40代の方だと思われます。
これからももお母様を大切にしてあげて下さい。

 

211: 風吹けば名無し 04/12/02 05:44:21
僕は、8歳の時母を亡くしました。
とても優しい母でした。
大阪来て、初めて田舎帰って、墓参り行った次の朝
朝方、夢に出てきてくれて
元気でなって言ってくれました。

 

221: 風吹けば名無し 04/12/13 15:50:22

父が逝ってから急速に老いて次第に呆けていった母。
その母の介護にキリキリと目を吊り上げていた自分。
正直しんどかった。自分なりには精一杯だった。
その母が逝ったとき、介護に取られていた時間がすっぽりと空になり
さりとてどうしていいのかわからず空虚に過ごしていた。

一年経った今、色々な事を思い出す。
優しかった笑顔やあたたかかったその手。
大切だった父を亡くしてショックで老いてしまうほどだった母の心を、
なぜもっと理解して優しくしてあげられなかったのだろう。
しっかりしろと叱ってばかリいた私。

あーあー、もういちど母の作ってくれたご飯が食べたい。
わたしの作るものと味が違うんだよ。もっと優しい味なんだよ。
あー、もう一度でいいから母の笑顔が見たい。
いつだって笑ってくれてたじゃん。わたし怒ってばかりだもん。
あんなにたくさんの優しさで包んで育ててもらって、わたしの優しさってこんなもんですか?
あんなに大事に育ててもらって、わたしって言う人間はこんなもんですか?
もういちど生まれなおして母に育ててもらいたい。
そしてこんどはもっともっと優しく母を看たい。
わたしの思いがもしも届くならば、こんな娘でごめんなさい。
それでも次に生まれるときもあなたの娘にしてください。
聞こえますか?
もう一度会いたい。

 

222: 風吹けば名無し 04/12/13 21:06:40
>>221
久々にいい話をありがとう。
貴方の母上はきっと許してくれていると思います。

 

224: 風吹けば名無し 04/12/16 20:24:04
いつもありがとうって言いたいけど、なんか恥ずかしくて言えない。
でも、いつもありがとうって思ってます。

 

228: 風吹けば名無し 05/01/13 03:31:52

私が子供の頃の母は躾の厳しい人だった。
いたずらすると、箒で叩かれたりした。逃げると箒を振りながら家の外まで追いかけてきた。

そんな母も歳老いて、父に先立たれ、近所に一人暮らし。
足腰が弱り一人で買い物に行けないので、休日に半日かけて買い物につき合う。

買い物の車の中での会話は、母の若い頃の話。
戦中、戦後の厳しい時代の話。
母の自慢は、五人の子供を産んで、皆、所帯を持つまで育てた事。

そんな母に感謝しながら少しでも長生きしてほしいと思う気持ちで一杯です。
私も高校生の息子がいて子育て奮闘中です。

 

230: 風吹けば名無し 05/01/19 22:10:45
たとえ父親が死んだとしても泣かないだろうけど
母親が死んでしまったら、大泣きするだろうな・・・。

 

234: 風吹けば名無し 05/01/29 22:31:53

うちの母さんは1年くらい前に亡くなったけど、
正直それまではほとんど何とも思ってなかった。
脳腫瘍で、3年くらいかかって段々赤子みたいになって最後は肺炎。
運ばれる前まで家にいたけど会話なんて当然できない。歩くこともできない。
それでも俺は殆ど泣かなかったし、世話もウザくて婆さんに任せてた。

けど・・・バカだったよ
やっぱりいつも俺を育ててくれたのは母さんだった
居なくなって半年くらいして、色々思い出してやっとわかったよ
ガキの頃、一人で眠るのが怖くて寝るまで居てくれたこと
親父と喧嘩して殴られたとき、守ってくれたこと
精神病で学校に居られなくて、会社から毎日迎えにきてくれたこと

思えば脳腫瘍に掛かったのだって、俺が迷惑かけてばかりだったってのも理由の一つだろう
ストレスなるような事ばっかりしてたもんな
当時の俺、そんなことは何一つ思ってなかった
入院してて会えなくて、遠いからって理由で会いにいかなかった
家に帰ってきても、話が通じなくて何もしてやらなかった
もう、なにもできないんだよな・・・

どうやって纏めたらいいかわからなくなっちまったんで
ここで荒らしてる人たち、荒らしてもいい
でも1回荒らしたらオマイの母さんや、身内に何かひとつでもいいから感謝してくれないか
俺みたいにいなくなってからじゃ遅いんだよ
母さん嫌いな奴も確かにいるかもしれんが、オマイの母は世界に一人しかいないんだ
読んでくれてthx

 

235: 風吹けば名無し 05/01/31 16:16:29
>>234 オカン、わかってるよ。どんな子だって可愛いんだよ、親ってさ。
おまいもオカンがあるべき姿じゃないのを認めるのが悔しかったんだろうさ。
いいんだよ。何十年かしたらまたあっちの世界でオカンがニコニコ待っててくれるからさ。
その時まではオカンが大事に大事に育ててくれたおまいの人生をしっかり歩め。
おまいはオカンの宝物なんだからさ。泣くな。がんがれ。

 

237: 風吹けば名無し 2005/03/22(火) 02:08:30
あの日、あなたにシネと言った、あの日の自分をころしたい。

 

238: 風吹けば名無し 2005/03/22(火) 03:30:10
幼稚園に入園する少し前。母さんが子宮外妊娠で入院した。
その頃の私は何故母さんが入院してるのかも分からなくて毎日のように
「入園式は絶対来て」
と何度も繰り返し言っていた。
母さんは入園式に青ざめた顔で来てくれた。
手術してまだ2日しか経っていなかったのに。
でも10年くらいして。
私はつい言ってしまった。
「兄弟が欲しかった。無理にでも産んで欲しかった」って。
母さんはとても悲しそうな顔してた。
父さんに殴られた。
私まだ子供だったね。
産んだら母さん死んでたんだよね。
ごめん。本当にごめん。

 

241: 風吹けば名無し 2005/03/23(水) 11:55:11
(つA`)ゥゥ・・。
お母さんいろいろ馬鹿なこと
吐き捨ててごめんよ・・・。
お父さん単身赴任でなかなか家族全員
でいられることは少なくなったが
長生きしてくれ・・・・。
貴方の元で育ったという幸せ、
いつかこの家を離れる時が来てもずっと忘れんよ・・・。
乱文失礼致しました。

 

244: 風吹けば名無し 2005/03/24(木) 02:10:50

「思い出」じゃないけどスマソ。

お母さん、あなたが私に地元で就職してほしいってことは、言わなくてもよくわかってる。
私に気を使って「帰ってきて」って言えないのわかってるよ。
でもね、私には夢があるんだ。でっかいでっかい夢があるんだ。
今は自分がどこまでできるか試したい。夢、叶えたいんだ。
こっちに来てあなたの大切さ、すごく感じてるし、時には寂しくなって「帰りたい」って思うこともある。
でも負けたくない。挑戦したい。
ごめんね、お母さん。さびしい思いさせちゃって、ごめんね。
あなたの涙の分、私頑張ります。どうか見守っててください。
いつの日か、夢叶えて実家に帰った時は、また一緒にシチュー作ろうね。

 

246: 風吹けば名無し 2005/03/25(金) 18:34:29
両親が離婚して母さんが出て行った。捨てられた気がして悲しくて一晩中涙がでて眠れなかった。
でも1ヶ月もたてば母さんのいない生活にも慣れて「別に普通じゃん。母さんがいなくても何とかやってける。」って思った。
夏休みに母さんに会いに行った。帰り際はやっぱり悲しくて「絶対に泣かない」って思ってたのに涙が止まらなくて駅のホームで流れていく景色の中、母さんの姿を追った。
学校で母さんの話題がでて久しぶりに電話をしてみた。母さんの声聞いたら涙が止まらなくてうまく話せなくて困った。
やっぱり母さんってとっても暖かくて大切で大好きな存在なんだよね

 

247: 風吹けば名無し 2005/03/25(金) 23:34:49
毎年自分の誕生日には母に電話して、「産んでくれてありがとう」って言ってます。
最初は母も「痛かったのよ~」って笑ってたけど最近は「産んで良かった」って言ってくれます。

 

248: 風吹けば名無し 2005/03/28(月) 11:59:38

もしタイムマシンがあったなら・・・・

カーチャンへひどい事言ったり、ひどい事したその瞬間に戻りたい。
そしてそこにいる昔の俺を足腰立たなくなるまで殴ってやりたい。
いままで何度もあったそんな瞬間全てにもう一度行ってみたい。

でも・・・・カーチャンは身を挺して昔の俺を守るんだろうな・・・・
昔に俺がオヤジに部屋の隅でボッコボコ殴られてる時に、
「もうやめて!!」ってカーチャン両手を広げてオヤジの前に立ち塞がり、
「痛かったんだよね・・・」って俺の頭を撫でてくれた様に・・・・

 

251: 風吹けば名無し 2005/03/28(月) 21:46:52

もう一度だけでいいから会いたいなぁ。
話したいことがたくさんあるのになぁ。
謝りたいこともたくさんあるのになぁ。

もう一度だけでいいから
あなたの子供になりたいなぁ。

・・・・・・・母さん

 

252: 風吹けば名無し 2005/03/30(水) 01:48:18

最近のことなんだけど、きっと忘れないから書こうと思う。

私には生まれつき軽い障害があるんだけど、18歳になるまでそれが分からなかった。
障害があるせいで変わった子だった私を育てるのは大変だったみたいで
苦労するうちに、いつしか周りの環境は悪い方へと傾いていき
私は心が壊れてしまった。

まだ心が正常だった頃に行ったカラオケで、母は私の歌が上手だ思ったんだって。
でも不登校をしている頃に行ったカラオケでは
私は音痴になっていた。
感情がなかったから、心を込めて歌うことができなくなってた。
母はその歌を聞いて改めて「ああ、本当に辛いんだな」って思ったらしい。

でもそのときたった一つ上手く歌えた歌があって
それが「夜空ノムコウ」だった。

2週間前に母とカラオケに行く途中でそんな話をして
何となく夜空ノムコウを歌ってみた。
そしたら横で母が泣いていた。

あのころ、何が辛いのか、何が悪くてこうなったのか
誰にも分からなかった。
特に私は心が壊れてたから余計に、何で苦しいのか分からなくて
本当に大変だった。
いろんな人を巻き込んで家族みんなで喚いて泣いて・・・。
今、気付いたら私には学歴も友達も、残らなかった。
でも家族だけは残った。
家族みんなで乗り越えてやっと普通になれた。
私も苦しかったけど、やっと両親を許すことができた。

母が泣くからつられて私も貰い泣きしたら、母が
「ああ良かった、○○(私)が元気になって」って。
本当に良かった。
家族が側にいてくれて。
まだ少ししこりはあるけど時間が解決してくれると思う。

今病気で自宅療養中。
もう少しだけ迷惑をかけます、お父さん、お母さん。
病気してるけど泣いたり笑ったりできる今が人生で一番楽しいよ。

治ったらきっと精一杯働いて目一杯親孝行しようと思います。
それまで闘病がんばります。

 

253: 風吹けば名無し 2005/03/30(水) 07:00:39
>>252 がんがれよ。ゆっくりな。

 

254: 風吹けば名無し 2005/03/31(木) 01:53:35
>>252
おれも心をやんだことがあるリーマンだ。
あなたよりは苦しみは少なかった。
上司との関係がきっかけだったが、心の病を
差別していた母は息子がうつ病になってからは
差別をやめたようだ。何よりも心配してくれたのが
うれしかった。ともにがんばろう。

 

255: 風吹けば名無し 2005/03/31(木) 01:56:28

漏れが小さい頃両親が離婚してとっちゃんが出てったんだ
女でひとつで今まで育ててくれてまじでありがとう・・・
中でも一番思い出にのこるのが消防の頃ヤバイぐらい熱が出て
仕事もやすんで姉貴に料理作らせて漏れに付きっ切りでいてくれて・・・

やばい涙がとまらんからここで落ちる・・・

 

259: 風吹けば名無し 昭和80/04/01(金) 03:47:14

母ちゃんと弟と俺、3人だけの家族だった。
親父はおろか親戚付き合いの記憶も物心ついたときから、ねぇ。
人並みの娯楽や小遣いなど全くなかったし、
毎日毎日もパートをハシゴしてる母ちゃんを見れば、
子供心にうちがほかの家と違うのは痛いほどわかっていた。

そんな俺らにも月イチの大イベントがあった。
母ちゃんの給料日の次の土曜に、軽自動車で国道沿のファミレスに
家族3人で繰り出してハンバーグを食った後、帰りに本屋に寄って
漫画を1冊だけ買ってもらう。
今となっちゃ片腹の痛い話だが、当時は月末が近づくと楽しみで楽しみ
で仕方がなかったな。

激しく貧乏だったにも関わらず、母ちゃんは「学がないと自分みたいに
苦労するから」と学費やら参考書やら教育だけには金を惜しず、俺と弟
両方とも大学にまで行かしてくれた。
おかげで三十路にさしかかる今では人並みの暮らしをしている。

今でも正月に実家に帰ったときは、家族3人であのファミレスでメシを
食う。俺と弟でもっといいとこ行こう、と主張するんだが、母ちゃんは
なんでか「もったいない」って頑ときかねぇからな。

なんか月並みな話で申し訳ないが、うちの母ちゃんは俺らにとっては世界
イチの母ちゃんだ!これからたっぷり親孝行してやろうと思っている。

最後に今でも思い出すと心が痛むんだが、高校3年の夏期講習代全て馬に
ぶっこんだ俺を許してくれ、母ちゃん・・・orz

 

267: 風吹けば名無し 2005/04/05(火) 10:34:33
>>259
最後の一文で全て台無しだよコノヤロw

 

265: 風吹けば名無し 昭和80年,2005/04/03(日) 02:16:46
俺を産んでくれてありがとう。
俺より先に、逝ってしまって辛かっただろうね
出来る事なら、ゆっくり話しもしてみたいし・・・
甘えたっかた

 

269: 風吹けば名無し 2005/04/06(水) 16:00:57
良スレage

 

270: 風吹けば名無し 2005/04/08(金) 04:17:40

「おまえの名前の一字に孝行の孝の字が入ってるのはね…」

母は、2年程前に糖尿病になり白内障?
を併発して現在ほとんど目が見えなくなっています。
腎臓の働きも悪くなり、最近、人工透析を始めました。
入院中は、職場の近くに病院があることもあり、
妻に作ってもらった弁当を片手によく見舞いにいっていました。

私の母は、典型的な「肝っ玉母ちゃん」みたいな人で、
酒浸りの父に尽くし、たまにはキレたり、
とてつもなく我が子を可愛がったりする母親でした。

今思えば、兄弟の中で唯一、親孝行の「孝」の字が入っている事を
なぜか嫌がって、「俺は育ててもらったんじゃない!自分で育ったんだ!」
などと、とんでもなく馬鹿な言葉を母親に浴びせたりした事を後悔し、
それに対して、悲しげに、母の放った言葉「そうかい。」の一言を聞いた時から
「孝」の一字に対して、暖かさを感じ始め、自分の誕生日には
なぜか「生んでくれてありがとう。」と毎年、言うようになりました。

最近、母の見舞いに行くと、目の見えない母が横たわって
隣のベッドの「おばあちゃん」の会話をおもしろそうに聞いています。
姑「私はあんたらの世話にはならん!年金と十分の貯金があるけん!」
嫁「そんな事いわれても来るけんね!ほんまにもー我儘なんじゃけん!」
隣のベッドで聞いている母がその時、カーテン越し言いました。
「おばあちゃん。ちゃんと話をせんといけんよ。娘なんじゃけん。」

私は、私の母という人物を誇りに思っています。
母の目が、僅かでも見える内に孫を抱かせたい。
時々、夢に見る、目がハッキリと見える自分をどうにか感じさせたい。

「おまえの名前の一字に孝行の孝の字が入ってるのはね…」
と私が幼い時にいってくれた言葉、今でも憶えていますよ。

ありがとう。母さん。
後、数十回しか会えない母さんへ。

 

271: 風吹けば名無し 2005/04/08(金) 22:31:11

2年くらい前

適当に作ったマフラー
適当に「あげる」って言って渡したマフラー
色もオレンジで無駄に長くて細い使えないマフラー

昨日、お母さんの引き出しの中からでてきて
泣きそうになりました

 

273: 風吹けば名無し 2005/04/16(土) 07:35:38
私のただ一人の味方は母しかいない。
いつもの様に私はどうでもいい事で喧嘩をふっかけた。
いつもは怒ってくる母、その時は悲しそうに何か呟くだけだった。
喧嘩のあとはいつも互いにあっけらかんとしていた。
心では何かひっかかりながらも、親子とはすごいなと思っていた。
この日も、いつもの様に母の部屋にあっけらかんと入った。
そこで母は、パッと見て人間にとって不自然だとわかる格好で倒れていた。
驚いて抱きかかえる。頭が痛いと訴える母。
異常を察し、病院に電話した。母は「薬を飲めば治る」
「最近たまにこうなっていたが大丈夫だから身内に連絡するな」
と言う。
体の半分が麻痺し、次第に声は小さくなり、目を閉じていく。
病院につくまでの救急車の中。私はなぜか“病院に着けば大丈夫”
という意識でいたので、車内で話しかけたり等しなかった。
医者に言われた言葉は「非常に残念なのですが」から始まるものだった。
理解できなかった。二時間前まで表情のあった母が、
もう二度と目を開けない。
原因は脳出血だった。母はもともと病持ちで、そのため手術が出来なかったのだ。
私はある選択をさせられた。
人工透析をさせずに死なせるか(病は、一度でも透析を
しないと死に至る腎臓病)、脳出血を放置して死なせるか。
母の死に方を選ばなければならなかった。
家庭環境が複雑で私には説明しがたい妙な自我があった。
その上母は不器用で、母とは物心ついた時から不自然な溝があった。
それを埋めなくてはと思い、母に色々と話をし出した矢先の事だった。
母は他界した。
冷たく、カチカチになった母から私は一晩離れなかった。
ひとりじゃ何も出来ない私を残して、さぞ心配だったろう。
私の身の置き場が決まった夜、耳元で「ごめんよ、友達が呼んでるから
もういくよ」
と声がして、私は飛び起きた。周りの人は「それはお母さんだね」
と、本当は信じていないながらの言葉をくれた。
一度も「おかあさん」と呼べなかった。
おかあさん、大好きです。最後まで心配かけてごめんなさい。

 

274: 風吹けば名無し 2005/04/18(月) 16:18:47
上司に「目が充血してるぞ、大丈夫か?」と言われた。
仕事中に読むスレじゃない。
母を大切に。

 

279: 風吹けば名無し 2005/05/05(木) 19:16:48

泣ける話多いな・・・
自分も、他人が読んだらなんとも思わないだろうけど、
感謝の気持ちを込めて書かせてもらいます。

うちは親父が仕事の続かない人でいつも貧乏。
母さんは俺と兄貴のためにいっつも働いてた。
ヤクルトの配達や近所の工場とか、土日もゆっくり休んでたっていう記憶は無いな・・・
俺は中学・高校の頃はそんな自分の家庭が嫌でしょうがなかった。
夜は遅くまで好き勝手遊んで、高校の頃は学校さぼって朝起きないことも多かった。
んで、高校卒業してすぐの頃、仕事もしないで遊んでて、当然金は無い。

そこでやっちゃった。盗み。詳しくは言えないけど、まあ、空き巣だね。
ただ、小心者の俺はその日に自首したんだ。良心が、とかじゃなくてびびっただけw
警察に俺を迎えに来た母さんはほんとに悲しい顔してた。でも泣いてはなかった。
一緒に家庭裁判所行ったときも、割と落ち着いてたね。

裁判所の帰りの電車で俺あやまったんだ。ボソッと「ごめん。」て。そしたら、
「お母さんこそお前に申し訳ないよ。ろくに小遣いもやれないで・・・
本当にお前がかわいそうで・・・すまなくって・・・」

俺、電車の中でぼろぼろ泣いた。声出して泣いてたと思う。
何やってんだ俺。何やってんだ俺。って思って、情けなくて申し訳なくて・・・
ここでも母さんは泣いてなかったな。ただじっとうつむいてただけだった。

俺はその後必死になって勉強した。昼はスーパーでバイトして、夕方からは受験勉強。
そして翌春に何とか大学に合格。バイトは続けながら大学生活が始まった。
でも、母さんはなんとなく俺のことがまだ心配なようだった。
母さんも相変わらず働きづめだから、そんな生活の俺とはあんまり会話がなかったし、
家が貧乏なのに変わりは無かったしね。

だから俺、入学後も一生懸命勉強した。自分の為っていうより、母さんを安心させてやりたかった。
それで大学1年目の終わりに、
「母さん。ちょっと見せたいものがあるんだ。」
そう言って紙を一枚渡した。
大学の成績通知書。履修した科目が全部『優』だったから(マジ)。
最初は通知書の見方がよくわかんなかったみたいだけど、説明したら成績が良いのはわかったみたい。
母「へえ、すごいね・・・母さん科目の名前みてもよくわかんないけど、すごいんでしょ?これ。」
俺「すごいかどうかはわかんないけど・・・」
母「・・・すごいね。・・・偉いね。」
俺「だからさ・・・こんな物だけで偉そうに言うのもあれだけど・・・
  俺、もう大丈夫だから。母さんを裏切ったりしないから。」

そしたら、母さん泣き出しちゃった。もう号泣。
そこで気付いたんだけど、俺、母さんが泣くのを見るの初めてだった。
きっと、何があっても子供には涙は見せないようにがんばってたんだと思う。
それを思ったら俺も泣き出しちゃったw 母さんより泣いてたかもw

はあ・・・親孝行しなきゃな・・・
長文すいませんでした。

 

280: 風吹けば名無し 2005/05/05(木) 21:11:57

オカン、どんだけ嬉しかっただろうな・・・。

>>279 1 一番の親孝行したじゃん。おまい、すげぇと思うよ、マジ。

 

282: 風吹けば名無し 2005/05/08(日) 15:05:08
子供のころ、やたら勉強しろとかうるさい親が憎いと思った。
今はそんな事を思っていた自分が憎たらしい
もっと素直になっておくんだったよ…

 

285: 風吹けば名無し 2005/05/21(土) 00:39:03

小5で父が亡くなり、それ以来女手ひとつで育ててくれたお母さん。
姉ちゃんの反抗期のとき「みんなでお父さんのところいこうか」と泣いたお母さん。
東京で暮らしたい私はあさって上京します。
お姉ちゃんが結婚してこどもを毎日連れてくるから、
昔より家族の仲がよくなったよね。
その分私は家を離れることが寂しくて悲しい。
正直行くのがいやになってます。
お母さん。
私はひとりでも大丈夫かな。
いままで照れくさくて言えなかったけど、
毎日本当にありがとう。
大好きだよお母さん。
それとお父さん。
お父さんが死ぬ前にたくさんがんばってくれたから、
私は不自由なく生活し、大学まで行くことができました。
今でもお空のお父さんに話し掛けてるまだまだ幼い私だけど、
お父さんのおかげで幸せな今があることを本当に感謝しています。
ありがとう。

 

286: 風吹けば名無し 2005/05/21(土) 10:20:55
>>285 勇気をもって一歩を踏み出し、人生をより豊かなものにして幸せになる。
それが今まで頑張ってきた母の幸せだとおもう。
感謝の気持ちがある限り、どこにいてもダイジョブだよ。がんがれ、そして幸せになれ。

 

287: 風吹けば名無し 2005/06/03(金) 01:35:23

団地住まいの消防のとき、クリスマスの日。

いつものクリスマスはそんなこと無いのだが、
珍しくその年は、かあちゃん直々に
¥2,980の運動靴プレゼントしてくれた。
デザインはあんま自分の趣味じゃなかったよーな。

そんでDQNな漏れは、その時イライラしてて
「そんなもん金の無駄遣いだよ!さっさと返品して来い!」
と一言。

母ちゃん泣いてた。
今でも鮮明に覚えてる。

あの日に帰ってあの日の漏れに一発くれてやりたい。
今は親孝行しとります。。悪かった、かあちゃん。

 

288: 風吹けば名無し 2005/06/03(金) 08:13:10

中学の頃、好奇心だけで塾の冬期講習を受講した。
講習のある日、学校から帰ってくると家の前の草むらに
うっちゃられた自転車を見つけた。
何も考えずそれに乗って塾に行った。

塾から帰ってくると母親が「自転車見なかった?」と聞いた。
それなら乗ってったと言うとひどく叱られた。
なんでも近所の子供のだったようで、その子の親が探してたらしい。
明日一緒に謝りに行くよと言われ、勘弁してよと思った。

翌日。意外にもその子の家は近くだった。
呼び鈴を鳴らして中にはいるとその子の親らしき人が出てきた。
「この度は…」と頭を下げながら謝る母親に形だけは習いながらも
んなとこにうっちゃった方も悪いじゃん、とちょっとむくれてた。
と、お詫びの言葉の最中突然母親が泣き出した。
何が起こったのか全く判らず固まるオレ。
母親は嗚咽しながらも謝るのを止めないので何を言っているのかわからない。
相手の「もういいですから」という言葉にもひたすら「申し訳ありませんでした」と。
泣きながら。

帰り道、ちょっと落ち着いた感じの母親の後について歩いた。
何もあんなに泣くこと無いじゃん、と思いと同時に母親を泣かして
しまったという罪悪感でいっぱいだった。親の責任というものが
どういうものか、少しだけ判ったような気がした。

それ以来、母を泣かすようなことはしていない。あんなに後味の悪い
思いはこりごりだ。

 

291: 風吹けば名無し 2005/06/05(日) 09:39:58

去年に母親が死んだ。心筋梗塞で。
私の事を毎日②叱ってくれる母親が死んだ。
うるさかった母親が死んだ。

今思えば、誕生日も母の日も1回しかあげた事がないな。
私の悩み事をちゃんと聞いて、それにあわせた自分の意見も語ってくれた母親。
心配性の母親。
伝える事ができるなら「私を産んでくれてありがとう。心配しないで。早く祖父の所に行ってあげて。」
そう母に伝えたいな。

 

297: 風吹けば名無し 2005/06/25(土) 16:41:33
子どもの頃、遊んでもらった記憶ないなー
近くの公園で、フェンスに止まったトンボをいっぱいとって、にこっとした母さんの顔だけ印象に残ってる。
遊んでほしかったなー

 

298: 風吹けば名無し 2005/07/10(日) 20:14:19
感動して、全然涙が止まりませんでした。
こんなにいいスレがあるなんて思ってもいなかった。
よくちょっとしたことで「うるさい!」なんて怒鳴ってしまったりしてしまった。
だけどお母さんはいつもニコッと笑って返してくれました。
本当にすまないことをしたと思っている。
あの時は怒鳴ったりしてごめんなさい。

 

299: 風吹けば名無し 2005/07/12(火) 23:03:40

幼稚園に入園したばかりの小さい頃、電車で一時間程離れた所にあるお祖母ちゃんの家によく遊びに行っていた。
母方のお祖母ちゃんだからお母さんも気兼なく行けるようで、
母さんと兄ちゃんと(当時小1)弟と俺の4人でしょっちゅう出掛けてた。
お祖母ちゃんの家には同い年の従兄弟一家も住んでいて、
部屋で遊んだり外で従兄弟や従兄弟の友達と走り回っていた。

ある日、俺と兄ちゃんだけでお祖母ちゃんの家に泊まることがあった。
俺はお泊まりが大好きだった。(母さん付きだったけど)
特に今回は母さんがいない事に妙にテンションがあがり浮かれきっていた。
よその家で食べるご飯や、従兄弟達とお風呂に入ったり子供大勢で布団を並べて寝るのが何故かとてもワクワクした。
そして翌日に電車で帰った。
ひとりではとても帰れない複雑な路線でも、電車好きな兄ちゃんがテキパキと切符を買い、
乗り換えをしてくれるので、俺は兄ちゃんの手を繋いでいるだけで良かった。

そんな兄ちゃんは駅を降りた帰り道に友達に会い、そしてそのまま遊びに行ってしまった。
だから帰りはひとりだった。
家に着くと俺は弟がお昼ねをしているのではないか、と思い小さな声で『ただいまぁ…』と言いながらソロソロと中に入る。
すると母さんは部屋でアイロン掛けをしていた。
俺の気配に気付くと、ゆっくりと振り返り『おかえりぃ。お兄ちゃんと2人で疲れたでしょ?』とにっこり微笑んでくれた。
俺はかなりびっくりした。普段ははっきり言ってかなり厳しいひとだった。
いつだって叱られて泣いていた。

そんな母さんが今俺に優しく微笑んでくれている。
何故か照れ臭くて、でも嬉しくて…。10分もすればすぐに元の母さんに戻ったけど。
それからはお祖母ちゃん家よりも、お祖母ちゃんの家からの帰りが大好きになった。
家に帰ればいつだって優しく微笑んでくれる母さんがいた。
そして恐い存在だった母さんの事ちょっぴり好きになった。

意味分からんかったかな??

 

443: 風吹けば名無し 2007/03/12(月) 18:42:43
>>299
なんか微笑ましくて良かった。

 

301: 風吹けば名無し 2005/07/13(水) 00:45:53
お ま い ら の 文 が ま ぶ し い よ 。ま じ 俺 感 動 し て る よ

 

304: 風吹けば名無し 2005/07/14(木) 01:28:13

母は俺が幼稚園の年中の冬に亡くなった。
どうしていなくなったのか分からないまま泣いていたのを覚えている。
泣いてる俺に『お母さんはいないけど、お父さんがいるからな』と父は言ってくれた。

その父が再婚したのは俺が小学2年の春だった。
正直父に裏切られた気分だった。
なつく、なつかないのレベルではなくむしろ『拒絶』に近かった。
家に帰ると義母が『おかえり』と言っても無視して、顔も見たくなくて部屋にこもった。
仲良く義母と笑ってる父自身も許せなかった。

俺は棺の中で花に囲まれていた母の姿が目に焼き付いている。
たった一人ぼっちで焼かれて行った母を忘れて、父は知らない女と笑っているんだと思い、尚更義母を毛嫌いした。
今思えば虐待されていてもおかしくない程いっぱい意地悪をしてた。
ご飯は食べないし、学校の書類も『親に見せるように言われた』と言って父にしか渡さなかった。
部屋にも亡くなった母と撮った写真を飾っていた。
父に叱られても義母と父の前で『母さんを忘れてニセモノを連れて来た父さんが悪いんだ!』と大泣きして怒った。

それでも義母は優しかった。
1年半以上経ち、少し義母の事を許せるようになると今度は実の母との間に苦しむようになった。

 

305: 風吹けば名無し 2005/07/14(木) 01:47:26

今こうして義母を許しかけているのは、母を裏切っているんじゃないか?
俺は悩んだ。そしてとうとう苦しくなり、義母に悩みを言ってしまった。
すると義母は『我慢しないでいいんだよ。廉君が都合のいい時に私を使えばいいんだから。話してくれてありがとう。大丈夫、裏切りじゃないよ。』と言って俺を抱き締めてくれた。
それを聞くと妙に安心して不覚にも泣きじゃくってしまった。
きっと寂しかったんだなぁ、俺。
母さんが死んだからって忘れる訳がないのに変な意地張ってた。
今年の成人式に初めて手紙をもらった。

『廉君へ
成人おめでとうございます。
初めて会った時からもう13年もたったのですね。早いものです。
初めはなかなか心を開いてくれなかった廉君が私に「おかあさん」と言ってくれた日がとても懐かしいです。
あの頃の私の願いは、いつも「廉君が血の繋がった息子だったら」でした。
そうしたら初めからあなたに受け入れてもらえるでしょう?あの頃のあなたの気持ちを思うと馬鹿な考えです。
でもその必要はありませんでした。あなたはちゃんと自分で悩み、考え、私に言ってくれました。ありがとう。今では本当の家族ですね。だから私はもう血の繋がりは望みません。

 

306: 風吹けば名無し 2005/07/14(木) 01:48:11
例え血の繋がりは無くてもこうして家族になれる、通じあえる何かがあるのなら、私はあなたと血が繋がってない事を誇りに思います。今だから話せますが、私には子供ができません。そんな私に可愛いい息子が出来て、今日こうして成人した姿を見ることができました。
今の私の願いはただ「あなたの幸せ」です。これからも私を母でいさせて下さいね。』
全文写してみた。
またうるんできたな。
俺も血が繋がって無いこと誇りに思うよ。
ありがとう母さん、かあさん。

 

308: 風吹けば名無し 2005/07/14(木) 15:13:44
創作だろうけど、泣ける話だね

 

309: 風吹けば名無し 2005/07/14(木) 18:49:59
マジ話だよ。今みたいな関係になるまではもっとドロドロしてた時期もあったけど
今は普通に仲がいいと思う。肩の力を抜いたというか、意地張るのやめたから。

 

323: 風吹けば名無し 2005/08/15(月) 16:00:03

昨日の夜、居酒屋で焼酎飲みながら、モロキュウつまんでたんだ。
キュウリ食ってたら、子供の時の記憶が急に蘇ってきた。

あれは小学校1~2年の頃だったか…
遠足の日に、母ちゃんが作ってくれた弁当を開けたら、
竹串に、キュウリとチーズが交互にね、刺さってんの。
俺、ガキの頃からそういう酒のつまみ的な食い物って好きだったから、喜んで食べようとしたんだ。
そしたら同級生が「こいつキリギリスのエサ食ってる!」って笑い出したわけ。
キュウリが結構大ぶりだったからかな、虫のエサっぽく見えたんだな。
クラス中に俺の弁当笑われてさ。
俺は悔しくて、家に帰った後母ちゃんに怒ったんだよ。
「母ちゃんのせいでキリギリスって言われた!もう母ちゃんの弁当なんていらん!」って。
母ちゃん、困ったような悲しいような顔しながら、
「ごめんね、ごめんね、今度はもっと美味しいもの作るから、ごめんね」
って、謝ったっけ。

俺、まだあの時のこと母ちゃんに謝ってないなって思ったら、涙が出てきた。
今更そんな話したって、母ちゃんは覚えてないかもしれないけどね。
母ちゃんもう随分歳だけど、まだ生きててよかったな。
今からでも、あの時のこと謝れるからな。

ごめんな母ちゃん。
でも、本当は美味かったんだよ、あのキリギリスの弁当。

 

324: 風吹けば名無し 2005/08/15(月) 16:54:09
>>323
自分にもそういうのありそう
忘れてるけどふとしたきっかけで思い出すんだろうか…考えさせられました。
お母さん健在なんですよね?大切にしてあげてください。

 

257: 風吹けば名無し 昭和80/04/01(金) 03:46:06
両親が、永遠に生きていてくれたらいいのにね。
一生、恩返しするのに。

【涙腺崩壊】母親との思い出(3)

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 転載元:http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/sepia/1070190095/

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